長男、初のピアノ発表会

先日、長男のハルがピアノの発表会に参加しました。

 

3歳の中頃から習いだし、7ヶ月くらいしか練習していない4歳児ですが、

ピアノの先生の意向もあり、参加することになりました。

 

1人で弾くことはできないので、妻との連弾となりました。

(妻もピアノを本格的に弾くのは30年ぶりくらいとのこと)

 

弾く曲は童謡のようなものを5曲ほど。

 

当然スラスラと弾けた訳ではないですが、

4歳で7ヶ月くらいしか練習していないという状況を考えると、

「発表会で演奏した!」と他の方に言えるほどの出来栄えでした。

 

また、発表会に参加することで、本人も少し自信に繋がったのではないかと思います。

発表会前はダラダラして練習もやらなかったりしましたが、

自分から進んで弾く機会が増えたように感じます。

 

モーツァルトは3歳くらいから楽器に触れていったそうです。

自分の息子が音楽の大天才になるとは思いませんし、

ピアニストにしたいという気持ちもありませんが、

発表会で演奏する姿を見て、やはり音楽は早めに取り組んだ方がいいと感じました。

 

また、意外な効果としては、長男が弾く姿を見ているからか、

次男のケイ(1歳)もピアノを触りだし始めました。

 

基本的に可能な限り早く色々学び始めてほしいと思っているので、

これはいい相乗効果と思えます。

 

今後も音楽を通じて、色々学んでいってほしいところです。

子どもを自主的に学ばせるには

子どもを自主的に学ばせるには、「本を読む」という技術が必要かと思います。

「自主的に学ぶ = 自主的に本を読む」と言ってもいいかもしれません。

しかし改めて考えてみると、この「本を読む」は極めて高度な技術だと感じます。

 

文字の理解は当然のことながら、文章だけで頭の中でイメージし、理解する必要があります。

物語となれば、字面だけではなく、その意味するところやニュアンスをくみ取る必要もあります。

しかし、自主的に本が読めれば、親の手を借りることなく自分で学び始めることが可能なので、いかに早く「本を読む」段階へ到達するかがカギな気がします。

特に幼児期はまだ勉強のジャンルで好き嫌いが大きく出てきていないので、幅広い範囲を自主的に学ぶためには、早めに「本を読む」段階に到達したいところです。

(今までさんざん「大人扱い」して、難しい言葉を使ってきた理由の1つでもあります)

 

「本を読む」に行き着くまでには、下記の流れがいいかと考えています。

 

①暗記でもいいから、ひらがな・カタカナ・数字を理解する。

②フリガナが振られた図鑑を読む

③フリガナのない図鑑を読む

④本を読む

 

写真や絵が豊富な図鑑で文章からイメージする訓練を行い、最終的に写真や絵がない本を読むというアプローチです。

長男のハルはもうすぐ4歳になりますが、現時点では②の段階にいて、漢字もいくつか理解できるようになりました。

(ひらがな表・すうじ表を読み上げたり、絵本を読んだりと、親のサポートがかなり必要でしたが)

 

ちなみに、車が好きな長男のハルの今年のクリスマスプレゼントは

「ダイナミック図解 自動車のしくみパーフェクト事典 第2版」にしました。

(漢字だらけでフリガナもないので、全く幼児向けではありません。親がひたすら読むことになりそうです(笑))

 

2022年7月に第2版が出版された最新版であり、著者の古川修氏もホンダで研究開発したり芝浦工業大学で教鞭を取ったりしている方で、内容もよさそうなので。

 

ハルは数字や目次の概念も何となく分かってきているようなので、機会ができたら、辞書の引き方も教えたいですね。

国語力の重要性

東洋経済ONLINEにて、興味深い記事がありました。

 

toyokeizai.net

 

著者の石井氏によると、国語力は語彙をベースにして情緒力、想像力、論理的思考を駆使して生きる力とのことです。いわば社会という荒波を渡る「心の船」と表現しています。

 

我々夫婦としても、国語力は何よりもまず優先すべき内容だと考えています。

そして、今までそれに注力した3年間だったと感じています。

 

言葉の解像度

本記事では、『近年の子どもは、言葉で道を切り開くのが苦手。「ヤバイ」といった極端な表現でトラブルを生んだりする』と述べています。

 

この記事を読んで、最近の子どもは言葉の解像度が低いんだと感じました。

 

例えば、男女で色の認識は違うと言います。

女性の方が男性よりも、色を細かく認識すると言います。

(もちろん個人差はあり、男性でも色を細かく認識する人はいますが)

化粧品売り場に行くと、微妙な色の違いの口紅が沢山ありますが、女性はそれだけ細かい色を使い分けていると言えます。

 

これは女性は色の解像度が高く、男性は色の解像度が低いと言えます。

そして、女性はシチュエーションによって、その解像度の違う色を使い分けているということになります。

 

国語力の話に戻すと、通常は色んな事象に対して、様々な言葉を使用します。

嬉しい出来事と言っても、

 ・結婚、出産

 ・受験合格

 ・おいしい店を見つけた

 ・なくしたワイヤレスイヤホンが見つかった

などの各場面で使用する言葉は違うと思います。

そして、それら状況に対して言葉を使い分けることで、聞き手はより理解が深まります。

これは、言葉の解像度が高いため、聞き手にしっかり伝えたいことが伝わると言えます。

 

一方、色んな嬉しい状況に対して一律で「ヤバイ」と言うのは、言葉の解像度が低いため、理解を聞き手にゆだねてしまっています。

これが、著者の石井氏が述べているトラブルの原因と言えるのではないでしょうか。

 

国語力を身に付ける時期

国語力を付けるという意味では乳幼児期が適切と、私は考えています。

 

本記事では、本を読まない子やスマホで育つ子に対して警鐘を鳴らしています。

 

しかし、情報化社会が進み社会の在り方が変わっている昨今、子どもをスマホから遠ざけることは困難と言えます。

また、スマホは防犯に活用したりといった良い面もあるので、いずれ与えざるを得ないと思います。

 

しかし、乳幼児であれば、1人だけで外出することはありません。

また、「自分のスマホを持つ」といった考え自体持ちません。

親への依存度が高くスマホも持っていない乳幼児期は、国語力を身に付けるのにぴったりです。

そういった意味からも、先日記載した「大人扱い」するという話は効果的だと言えます。

(よろしければ、下記の記事もご覧ください)

 

rikeipapa.jp

 

子どもの自主性に任せる

本記事では、「目的ありきの遊びではなく、子どもたちが作り出した遊びが大切」と述べています。

私も完全に同意いたします。

 

よく「対象年齢〇歳」という記載がおもちゃにありますが、我が家ではあまりこれを気にしていません。

なんだったら、対象年齢が上のおもちゃをプレゼントしています。

「部品を飲み込む危険がある」「塗料に有害物質が入っている」といった観点から対象年齢を決めている場合もありますので、そういった危険性がないことが前提です。

 

よく2人目は1人目よりも学習面で有利と言われます。

それは、1人目が遊んだり学んでいる姿を、生まれた時から横から学習できるからと言えます。

 

おもちゃの観点で言うと、2人目以降は出生時から上の子のおもちゃ(対象年齢が高いもの)が身の回りにあると言えます。

2人目以降の育児を経験した人なら分かるかと思いますが、2人目の子の周りから上の子のおもちゃを完全除去することは、時間的にも体力的にも部屋のスペース的にも不可能です。

また、日々忙しいので、上の子のおもちゃの使い方は、乳幼児任せになっているかと思います。

だとしたら、1人目に対しても、対象年齢に合致したものを与えなくてもいいのではないでしょうか。

 

対象年齢を決める際の具体的な方針というものはないそうです。

おもちゃ会社が「この遊び方だと対象年齢はこれぐらいかな?」と決めていたとしても、その遊び方をしなければいけない訳ではありません。

 

子どもが思いついた、大人からしたら想定外の遊び方はむしろ喜ばしいと言えます。

 

※再度注意書きいたしますが「部品を飲み込む危険がある」「塗料に有害物質が入っている」といった観点から対象年齢を決めている場合もありますので、そういった危険性がないことが前提です。

 

最後に

国語力は他者とのコミュニケーションツールだけではなく、学習ツールでもあります。

国語力がないことで、他者を傷つけてしまうといったことは避けたいです。

また、国語力がなく、学習に問題が発生するというのも由々しき事態です。

そのため、乳幼児期から大人と同じ会話レベルで接してあげて、国語力をどんどん身に付けるべきだと思います。

 

なお、石井氏の記事の最後の方に、「国は外国語など新しい教育を打ち出しているが、まずは国語力が必要」といった書かれています。

 

我々夫婦も、英語は学習の優先度は低いと考えています。

まずは日本語で色々学ぶべきと考えています。

この内容についても、いずれブログに書こうと思います。

数字の認知能力

先日、長男ハルの成長を感じさせる出来事がありました。

(妻の実家での出来事なので、私は不在でした)

 

現在妻は次男のケイに授乳をしていますが、2人目育児で忙しく、授乳した時間を忘れることがあります。

そのため、妻は普段から授乳時間をメモしていました。

 

8月19日の夕方。

この日はメモを取ることができなかったので、妻が今日の授乳時間を思い出していた時です。

突然長男のハルから提案があり、

 

「今日は、ハルがメモしてあげるよ!」

 

と提案してきました。

 

これは好都合ということで、妻が「今日の授乳は、朝が7時、夕方は17時だったよ」と伝えたそうです。

すると、こんな感じのメモを書いて渡してくれました。

 

 

上の段が「8 1 9」、下の段が「7 1 7」となっています。

まさか3歳にして数字を書き始めるとは思わなかったので、その場にいた妻と義母は大変驚いたそうです。

(後から聞いた私も驚きました!)

 

しかも、「1は棒で、7は横と斜めの棒でできている~」とか言いながら書いたらしいので、形が分かっているようです。

 

「ヨコミネ式95音」という育児法では、直線で書きやすい文字から書く練習をし、早ければ3歳までにひらがなやカタカナを含めた95音を描けるようになるそうです。

また、「石井式漢字教育」では、漢字を絵やマークのように覚えるという方法で、漢字を早期に習得するそうです。

 

上記の育児法を詳しく知っている訳ではないですが、この教育法の中に数字が出てこないということは、数字は文字の中でも非常に難しいと言えると思います。

(数字の概念自体が難しいということもありそうですが)

 

実際、我が子が書いた数字を見て、上段の「8」や「9」の曲線はやはり難しいことがわかります。

にも関わらず、嬉々としてこれら数字を書いてくれたようです。

数字は日頃からよく触れさせていているので、どのような形となっているか絵で覚えているようです。

 

やはり、子どもの吸収能力は大人が思っている以上だと感じさせられます。

子どもは大人扱いする

長男出生時から一貫している教育方針として、我が子は「大人扱いする」というものがあります。

赤ちゃんは、母親のお腹の中にいるときは、母子が一体となっています。

しかし、生まれた後は戸籍や住民票に登録され、マイナンバーまで発行されています。

つまり1人の人間と社会に認められている訳です。

そのため、我々夫婦は「大人扱い」するという感覚を持っています。

 

生まれる前から「大人扱い」すると決めていたので、我々夫婦は一度も「ぶーぶー」などと言ったことがありません。

新生児のときから「自動車」とか「自家用車」とか「重機」とか言っています。

(絵本に書いてあったら、当然「ぶーぶー」とは言いますが)

 

まだ長男も生まれていない頃に、妻と話し合ったことがあります。

 

こういったことを幼児に聞かれた際に、どう答えるか

「月は、どこまで歩いても付いてくるけど、なんで?」

・回答1:〇〇ちゃんのことが好きだから、ついてくるんだよ。

・回答2:月は地球よりもものすごく遠くて、少し歩いただけじゃ離れないんだよ

 

「回答1」はファンタジー的な内容で、「回答2」は事実となっています。

おそらく「回答1」で答える人も多いと思いますが、我々夫婦は共に「回答2」と答えました。

こういった感覚を長男の出生前から夫婦共々持っていました。

 

赤ちゃんに「難しい」はない

こういった話を他の方に話すと、「そんな難しいこと理解できないよ」と言われます。

しかし、我々夫婦はそう思っていません。

なぜなら「難しい」という概念は、「簡単」という概念が存在して初めて成り立つからです。

 

生まれたばかりでまだ目もはっきりと見えない赤ちゃんに

「簡単」という概念は存在しません。

その対極として「難しい」という概念も存在しません。

 

大人は難しいことを学習中はうんうんうなりますが、

赤ちゃんが「この世の中って難しいことばっかりだな~」と嘆いている姿は見たことはありませんよね?

あっけらかんとしているはずです。

 

言うなれば、「難しい」とか「簡単」というのは、知識が蓄積している大人の概念と言えます。

 

大人は色んな知識を持ち合わせており、その知識が小学生レベルなのか大学生レベルなのか判断がつきます。

例えば、「物が燃えると二酸化炭素が出る」というのは小学校で習うことだと瞬時に分かります。「アインシュタイン一般相対性理論」と聞いたら大学で習うことだとわかります。

 

また、自分が苦手な分野とか知らない分野というのも理解しています。

例えば、完全な文系タイプであれば中学校の方程式も難しいと感じますし、完全な理系タイプであればヨーロッパの目まぐるしい歴史を難しいと感じます。

 

そういった複合的な認識から、「難しい」とか「簡単」という概念が発生します。

 

そのため、何も知識が蓄積していない赤ちゃんには、「難しい」とか「簡単」という概念が発生していないと言えます。

 

赤ちゃん側の感覚

例えば、下記の単語を見ると、普通の大人は①②③の順番でどんどん難しくなると感じると思います。

 

 ①ぶーぶー

 ②車

 ③重機

 

ですが、赤ちゃんはまだ文字というものは分からないので、音だけで判断します。

そのため、赤ちゃんの気持ちが分かるように、下記のようにひらがなにしてみましょう。

 

 ①ぶーぶー

 ②くるま

 ③じゅーき

 

③は音が分かりやすいように「じゅうき」ではなく「じゅーき」としましたが、

「ぶーぶー」と「じゅーき」のどっちの音が難しいなんてないですよね?

どれが難しく、どれが簡単かというのはない気がしないでしょうか。

 

乳幼児に教える際に重要なのは、

 

『外でたくさん見る物体を「くるま(車)」と言い、

 黄色と黒の縞々の大きな物体を「じゅーき(重機)」と言っているな』

 

と感じて取ってもらうことです。

 

また、時刻についても出生時から数字で教えていましたが、これも、

 

『外が明るくなってお腹がすいている頃を「じゅうにじ(12時)」と言い、

 外が暗くなって疲れてきた頃を「ごじ(5時)」と言っているな』

 

と感じてもらうことが重要です。

さらに、時刻に関しては、時計を指さして針がどういう位置になっているかも説明していました。

 

具体的手法

なるべく難しい表現を使う。

我が子に話しかける際は、なるべく難しい表現を使用するよう心掛けました。

二字熟語、四字熟語、慣用表現、何かの本の引用、比喩表現など、可能な限り難しい表現を使用しています。

例えば、「燃える」と言わずに「燃焼する」などと赤ちゃんに言う訳です。

 

家で日本語しかしゃべっていないのに、突然、英語や中国語、スワヒリ語などをしゃべりだすことはありません。

ということは、日本語自体も日頃から聞いていない言葉をしゃべりだすことはありません。

難しい話や表現を常日頃から聞かせてあげれば、それは難しくなくなります。

色んな単語を聞く環境が「普通」という状態にする訳です。

 

注意することとして、回りくどかったり分かりづらく説明するわけではありません。

友人や上司・同僚・部下などに分かってもらうように説明するが、使用する単語は難しいという感じです。

 

私は、「日常生活で最も難しい話をしている相手は我が子だ」と思いながら育児していました。

簡単な表現や赤ちゃん語は、周りの人が使ってくれます。

周りの人が、私の子供に対して簡単な表現で話してくれるため、

あえて私がそういった話をする必要はないと思っています。

 

色んな情報を与える。

「そういえば」とか「こういったこと知ってる?」といって、他の話をしたりもしました。

それは、色んな情報を知ると、お互いの情報がリンクし合い、さらに知識を吸収する助けとなるからです。

長男は車が好きなので、ガソリンやハイオクという燃料の話も小さいころから話していました。

妻も、小学生が読むような本を1~2歳頃から図書館で借りていました。

 

色んな情報がお互いリンクし合うことは、白いキャンバスに点を打つとイメージしやすいかと思います。

例えば、生まれたばかりの赤ちゃんはまだ知識が全くない状態です。

それはキャンバスに何も書かれていない状態と言えます。

 

 

このキャンバスに2つ点を描くと、線が1本引けます。

 

 

ここに1つ点を追加すると、線が2本増え、計3本になります。

 

 

さらに1つ点を追加すると、線が3本増え、計6本になります。

 

 

つまり、点を増やせば増やすほど、つながる線が加速度的に増えていくということです。

この点が、子どもが学ぶ「情報」に該当します。

点(情報)が増えれば増えるほど、リンクし合う本数がたくさん増え、情報を深く理解したり、覚えやすくしたりします。

 

また、点(情報)と点(情報)がつながり線となる感覚は、学ぶ上で非常に楽しい感覚です。

こういった感覚を持つと、自分から学ぼうという意欲にも繋がります。

 

真っ白なキャンバスにたくさん点を打ち、なるべく黒くしたい。

そういった気持ちで日々色んな話を子供にしてきました。

 

情報に触れる時間を長くする。

壁にポスターを貼るなど、情報に触れる時間を長くするようにしました。

これは多くのご家庭で実施されているかと思います。

ここで重要なのは、そのポスターなどを使って色んな話をしてあげることです。

 

我が家にも、壁にカレンダーが飾ってあります。

それで「何日に何がある」とか「〇曜日はお弁当の日」とか「青い日は土曜日でパパが休み」などと説明していました。

 

その結果、長男は3歳にして既にカレンダーを理解しています。

インターネットで調べると、カレンダーの概念が分かるのは6歳頃と言われたりしているようです。

私が「〇〇の日はいつだっけ」と話していたら、「さきおととい(一昨昨日)だよ~」と3歳児に言われたのは私自身びっくりしました。(しかも合っていた!!)

 

やはり時間が長ければ長いほど定着しやすいものです。

 

決して高圧的な態度で行わない。

「〇〇は××なんだから覚えて!」とは言わず、「〇〇は××なんだよ、知ってた?」といったフランクな感じで話をしています。

 

大事なのは冒頭でも書いた通り、「大人扱い」することです。

「大人扱い」するということは、「難しいことを話す」というだけでなく、

「相手を尊重する、敬意を払う」ということでもあります。

 

例えば、友人に対して高圧的な話し方はしないですよね?

(おかしなところがあったら、もちろん注意はするでしょうが)

「親しき中にも礼儀あり」と言いますし、ふざけあう仲だとしても、けなしたり上から目線で話したりはないと思います。

 

我が子に対しても、「難しいことを覚えて!!」という上から目線の感じではなく、友人と雑談している感じで話をしています。

 

こんな感じで・・・

以上を長男出生時から続けてきた結果、わずか3歳で「4分の1」とかの言葉を使いこなすことができました。

そのため、この教育手法はかなり効果があったと実感します。

他にも色々書きたいことはありますが、今日はこの辺で。

初めに

育児4年目に突入した理系パパです。

同い年の妻とともに、2人の男の子の育児をしています。

 

長男のハルは2019年、次男のケイは2022年生まれ。

 

子育てでこうしたらいいと考えたことを夫婦で色々実践し、

効果が目に見えて現れ、その記録を付けていきたいと思ったのが

このブログを始めたきっかけです。

(色々忙しくて、結構忘れていってしまう・・・)

 

挙げればキリがないですが、

例えば、2022年7月22日、長男のハルが木陰に車2台隠れているのを見て、

「こっちの車は半分しか見えない、あっちの車は4分の1しか見えない」

と発言しました。

 

分数は小学校4年くらいから教わるらしいですが、

分数の表記を理解できていなくても、

3歳で言葉をある程度使いこなせているというのは、

非常にびっくりしました。

 

現在進行形で育児は進んでいますが、

どうやって育児を行ってどんな子に育ったかを記録していきたいと思います。

 

(ブログのデザイン等は、今後のちょこちょこいじっていきます・・・)