理系としての歩み

最近、長男のハルはレゴだけでなく、算数にも興味が出てきているようです

少し前から1~2桁の単純な足し算は出来ていましたが、繰り上がりの足し算の存在を教えてから、本人の希望でここ数日繰り上がりの足し算を教えています。

繰り上がりの足し算は小学1年生からの単元のため、なかなか早いのではないでしょうか。

 

また、九九も以前からお風呂場に表を張り付けて学んでいましたが、

最近は米津玄師の「パプリカ」の替え歌で自然と勉強しています。

今の子どもは本当に恵まれています。

 

次男のケイはパズルをするようになりました。

最初の数ピースは作ってあげますが、後半はケイ本人が完成させています。

 

どうやら2人の息子は、理系のようです。

 

産まれた時から身の回りに情報が多くなるように教育してきましたが、その教育効果を感じます。

 

色々教えるに当たり、子ども本人が楽しんでいることが非常に重要に思います。

決して勉強のようにせず、友人と雑談するかのように教える感じだとスムーズに学んでいけます。

決して子どもとして扱わず、1人の人間として尊重することが大事だと常々思います。

1人目と2人目の相互作用

つい先日、長男春の幼稚園にてちょっとしたイベントがありました。

今回は家族も列席可能とのことだったので、私と妻と次男のケイの3人も参加しました。

 

当日は園児達の合唱や園長先生のお話など盛りだくさんでしたが、

次男のケイは騒ぐこともなく、落ち着いて見ていました。

 

この状況を見て、やはり2人目以降は非常に有利な環境にあるなと感じました。

園児達の合唱や園長先生のお話は通常年少からしか見聞きできないので、上に兄弟がいることによって、その体験が早くからできるということが大きな影響を与えると思います。

 

こういったことは、特別なイベントに限らず、日常生活にも言えると思います。

 

ハルはレゴにはまりっぱなしで、最近は起きている間はずっとレゴをやっていますが、

ケイもついに遊ぶようになりました。

 

2人目以降に対してこういった良い循環を作るには、1人目に対して色々教えたりすることは非常に重要だと思ました。

親だけでは時間的にも限界がありますし。

 

1人目に知識をたくさん教えて、2人目以降もすぐ横で学ぶという感じになると、いい教育になる気がします。

夏の思い出

今年の夏は雨が少なく外出には持って来いだったので、プールや海など、色んな場所に行きました。

その中で、千葉県袖ケ浦市にある東京ドイツ村が意外な点で良かったです。

 

東京ドイツ村はアトラクションが少ないですが、花と緑をテーマにしている施設で、広大な敷地に芝生が広がっており、一部エリアには花も多く植えられているといった感じです。

(秋冬くらいにはイルミネーションもやっており、それも有名みたいですね)

 

初めて行きましたが、その広い敷地に対して人が少なかったため、小さな子どもを連れて行き気兼ねなく楽しむことができました。

 

 

 

しかも、上の写真のように、奥まで見渡せる状況で自分たちだけしか写っていない写真も撮ることが出来ました。

(当日の天気もすごく良かった!)

こういった場所はなかなかないですよね。

 

また、持ち込んだお弁当を園内で食べることができるため、景色のいい場所でピクニックも出来ました。

 

子どもが大きくなったら、アトラクションが豊富なテーマパークに行くようになるので、

子どもが小さい頃に、こういったテーマパークで思い出作りするのもいいかと思いま した。

レゴに没頭

最近、長男のハルはレゴにはまっています。

私の実家に幼少期のレゴがあり、帰るたびに遊んでいて好きそうだったので、プレゼントをあげたりしてきました。

 

youtubeの影響で、昨日は国旗を作ってみたとのこと。

 

 

当然妻が手伝ってはいますが、ブラジルなどは自分1人で作成したとのこと。

 

ハルは小さいときから車が好きでした。

思えば1歳ぐらいから、車の本を見せながらどの車がどの国で製造されているかというのを教えてきました。

 

その影響というのも少なからずあるように思われます。

 

最近では未就学児でマインクラフトというゲームをする子もいるようですが、我々夫婦の方針としてはまず現実世界で色々いじってみてといった感じにしています。

(ゲーム漬けになりそうというのもありますが)

 

また、次男のケイも、長男の横でちょこちょこいじっています。

(たまにハルに怒られていますが)

ケイもまだ1歳5ヶ月くらいですが、少しずつレゴをくっつけられるようになってきました。

 

子どもたちには今後も色んなことを試していってほしいところです。

 

 

長男、初のピアノ発表会

先日、長男のハルがピアノの発表会に参加しました。

 

3歳の中頃から習いだし、7ヶ月くらいしか練習していない4歳児ですが、

ピアノの先生の意向もあり、参加することになりました。

 

1人で弾くことはできないので、妻との連弾となりました。

(妻もピアノを本格的に弾くのは30年ぶりくらいとのこと)

 

弾く曲は童謡のようなものを5曲ほど。

 

当然スラスラと弾けた訳ではないですが、

7ヶ月くらいしか練習していない4歳児という状況を考えると、

「発表会で演奏した!」と他の方に言えるほどの出来栄えでした。

 

また、発表会に参加することで、本人も少し自信に繋がったのではないかと思います。

発表会前はダラダラして練習もやらなかったりしましたが、

自分から進んで弾く機会が増えたように感じます。

 

モーツァルトは3歳くらいから楽器に触れていったそうです。

自分の息子が音楽の大天才になるとは思いませんし、

ピアニストにしたいという気持ちもありませんが、

発表会で演奏する姿を見て、やはり音楽は早めに取り組んだ方がいいと感じました。

 

また、意外な効果としては、長男が弾く姿を見ているからか、

次男のケイ(1歳)もピアノを触りだし始めました。

 

基本的に可能な限り早く色々学び始めてほしいと思っているので、

これはいい相乗効果と思えます。

 

今後も音楽を通じて、色々学んでいってほしいところです。

子どもを自主的に学ばせるには

子どもを自主的に学ばせるには、「本を読む」という技術が必要かと思います。

「自主的に学ぶ = 自主的に本を読む」と言ってもいいかもしれません。

しかし改めて考えてみると、この「本を読む」は極めて高度な技術だと感じます。

 

文字の理解は当然のことながら、文章だけで頭の中でイメージし、理解する必要があります。

物語となれば、字面だけではなく、その意味するところやニュアンスをくみ取る必要もあります。

しかし、自主的に本が読めれば、親の手を借りることなく自分で学び始めることが可能なので、いかに早く「本を読む」段階へ到達するかがカギな気がします。

特に幼児期はまだ勉強のジャンルで好き嫌いが大きく出てきていないので、幅広い範囲を自主的に学ぶためには、早めに「本を読む」段階に到達したいところです。

(今までさんざん「大人扱い」して、難しい言葉を使ってきた理由の1つでもあります)

 

「本を読む」に行き着くまでには、下記の流れがいいかと考えています。

 

①暗記でもいいから、ひらがな・カタカナ・数字を理解する。

②フリガナが振られた図鑑を読む

③フリガナのない図鑑を読む

④本を読む

 

写真や絵が豊富な図鑑で文章からイメージする訓練を行い、最終的に写真や絵がない本を読むというアプローチです。

長男のハルはもうすぐ4歳になりますが、現時点では②の段階にいて、漢字もいくつか理解できるようになりました。

(ひらがな表・すうじ表を読み上げたり、絵本を読んだりと、親のサポートがかなり必要でしたが)

 

ちなみに、車が好きな長男のハルの今年のクリスマスプレゼントは

「ダイナミック図解 自動車のしくみパーフェクト事典 第2版」にしました。

(漢字だらけでフリガナもないので、全く幼児向けではありません。親がひたすら読むことになりそうです(笑))

 

2022年7月に第2版が出版された最新版であり、著者の古川修氏もホンダで研究開発したり芝浦工業大学で教鞭を取ったりしている方で、内容もよさそうなので。

 

ハルは数字や目次の概念も何となく分かってきているようなので、機会ができたら、辞書の引き方も教えたいですね。

国語力の重要性

東洋経済ONLINEにて、興味深い記事がありました。

 

toyokeizai.net

 

著者の石井氏によると、国語力は語彙をベースにして情緒力、想像力、論理的思考を駆使して生きる力とのことです。いわば社会という荒波を渡る「心の船」と表現しています。

 

我々夫婦としても、国語力は何よりもまず優先すべき内容だと考えています。

そして、今までそれに注力した3年間だったと感じています。

 

言葉の解像度

本記事では、『近年の子どもは、言葉で道を切り開くのが苦手。「ヤバイ」といった極端な表現でトラブルを生んだりする』と述べています。

 

この記事を読んで、最近の子どもは言葉の解像度が低いんだと感じました。

 

例えば、男女で色の認識は違うと言います。

女性の方が男性よりも、色を細かく認識すると言います。

(もちろん個人差はあり、男性でも色を細かく認識する人はいますが)

化粧品売り場に行くと、微妙な色の違いの口紅が沢山ありますが、女性はそれだけ細かい色を使い分けていると言えます。

 

これは女性は色の解像度が高く、男性は色の解像度が低いと言えます。

そして、女性はシチュエーションによって、その解像度の違う色を使い分けているということになります。

 

国語力の話に戻すと、通常は色んな事象に対して、様々な言葉を使用します。

嬉しい出来事と言っても、

 ・結婚、出産

 ・受験合格

 ・おいしい店を見つけた

 ・なくしたワイヤレスイヤホンが見つかった

などの各場面で使用する言葉は違うと思います。

そして、それら状況に対して言葉を使い分けることで、聞き手はより理解が深まります。

これは、言葉の解像度が高いため、聞き手にしっかり伝えたいことが伝わると言えます。

 

一方、色んな嬉しい状況に対して一律で「ヤバイ」と言うのは、言葉の解像度が低いため、理解を聞き手にゆだねてしまっています。

これが、著者の石井氏が述べているトラブルの原因と言えるのではないでしょうか。

 

国語力を身に付ける時期

国語力を付けるという意味では乳幼児期が適切と、私は考えています。

 

本記事では、本を読まない子やスマホで育つ子に対して警鐘を鳴らしています。

 

しかし、情報化社会が進み社会の在り方が変わっている昨今、子どもをスマホから遠ざけることは困難と言えます。

また、スマホは防犯に活用したりといった良い面もあるので、いずれ与えざるを得ないと思います。

 

しかし、乳幼児であれば、1人だけで外出することはありません。

また、「自分のスマホを持つ」といった考え自体持ちません。

親への依存度が高くスマホも持っていない乳幼児期は、国語力を身に付けるのにぴったりです。

そういった意味からも、先日記載した「大人扱い」するという話は効果的だと言えます。

(よろしければ、下記の記事もご覧ください)

 

rikeipapa.jp

 

子どもの自主性に任せる

本記事では、「目的ありきの遊びではなく、子どもたちが作り出した遊びが大切」と述べています。

私も完全に同意いたします。

 

よく「対象年齢〇歳」という記載がおもちゃにありますが、我が家ではあまりこれを気にしていません。

なんだったら、対象年齢が上のおもちゃをプレゼントしています。

「部品を飲み込む危険がある」「塗料に有害物質が入っている」といった観点から対象年齢を決めている場合もありますので、そういった危険性がないことが前提です。

 

よく2人目は1人目よりも学習面で有利と言われます。

それは、1人目が遊んだり学んでいる姿を、生まれた時から横から学習できるからと言えます。

 

おもちゃの観点で言うと、2人目以降は出生時から上の子のおもちゃ(対象年齢が高いもの)が身の回りにあると言えます。

2人目以降の育児を経験した人なら分かるかと思いますが、2人目の子の周りから上の子のおもちゃを完全除去することは、時間的にも体力的にも部屋のスペース的にも不可能です。

また、日々忙しいので、上の子のおもちゃの使い方は、乳幼児任せになっているかと思います。

だとしたら、1人目に対しても、対象年齢に合致したものを与えなくてもいいのではないでしょうか。

 

対象年齢を決める際の具体的な方針というものはないそうです。

おもちゃ会社が「この遊び方だと対象年齢はこれぐらいかな?」と決めていたとしても、その遊び方をしなければいけない訳ではありません。

 

子どもが思いついた、大人からしたら想定外の遊び方はむしろ喜ばしいと言えます。

 

※再度注意書きいたしますが「部品を飲み込む危険がある」「塗料に有害物質が入っている」といった観点から対象年齢を決めている場合もありますので、そういった危険性がないことが前提です。

 

最後に

国語力は他者とのコミュニケーションツールだけではなく、学習ツールでもあります。

国語力がないことで、他者を傷つけてしまうといったことは避けたいです。

また、国語力がなく、学習に問題が発生するというのも由々しき事態です。

そのため、乳幼児期から大人と同じ会話レベルで接してあげて、国語力をどんどん身に付けるべきだと思います。

 

なお、石井氏の記事の最後の方に、「国は外国語など新しい教育を打ち出しているが、まずは国語力が必要」といった書かれています。

 

我々夫婦も、英語は学習の優先度は低いと考えています。

まずは日本語で色々学ぶべきと考えています。

この内容についても、いずれブログに書こうと思います。