長男出生時から一貫している教育方針として、我が子は「大人扱いする」というものがあります。
赤ちゃんは、母親のお腹の中にいるときは、母子が一体となっています。
しかし、生まれた後は戸籍や住民票に登録され、マイナンバーまで発行されています。
つまり1人の人間と社会に認められている訳です。
そのため、我々夫婦は「大人扱い」するという感覚を持っています。
生まれる前から「大人扱い」すると決めていたので、我々夫婦は一度も「ぶーぶー」などと言ったことがありません。
新生児のときから「自動車」とか「自家用車」とか「重機」とか言っています。
(絵本に書いてあったら、当然「ぶーぶー」とは言いますが)
まだ長男も生まれていない頃に、妻と話し合ったことがあります。
こういったことを幼児に聞かれた際に、どう答えるか
「月は、どこまで歩いても付いてくるけど、なんで?」
・回答1:〇〇ちゃんのことが好きだから、ついてくるんだよ。
・回答2:月は地球よりもものすごく遠くて、少し歩いただけじゃ離れないんだよ
「回答1」はファンタジー的な内容で、「回答2」は事実となっています。
おそらく「回答1」で答える人も多いと思いますが、我々夫婦は共に「回答2」と答えました。
こういった感覚を長男の出生前から夫婦共々持っていました。
赤ちゃんに「難しい」はない
こういった話を他の方に話すと、「そんな難しいこと理解できないよ」と言われます。
しかし、我々夫婦はそう思っていません。
なぜなら「難しい」という概念は、「簡単」という概念が存在して初めて成り立つからです。
生まれたばかりでまだ目もはっきりと見えない赤ちゃんに
「簡単」という概念は存在しません。
その対極として「難しい」という概念も存在しません。
大人は難しいことを学習中はうんうんうなりますが、
赤ちゃんが「この世の中って難しいことばっかりだな~」と嘆いている姿は見たことはありませんよね?
あっけらかんとしているはずです。
言うなれば、「難しい」とか「簡単」というのは、知識が蓄積している大人の概念と言えます。
大人は色んな知識を持ち合わせており、その知識が小学生レベルなのか大学生レベルなのか判断がつきます。
例えば、「物が燃えると二酸化炭素が出る」というのは小学校で習うことだと瞬時に分かります。「アインシュタインの一般相対性理論」と聞いたら大学で習うことだとわかります。
また、自分が苦手な分野とか知らない分野というのも理解しています。
例えば、完全な文系タイプであれば中学校の方程式も難しいと感じますし、完全な理系タイプであればヨーロッパの目まぐるしい歴史を難しいと感じます。
そういった複合的な認識から、「難しい」とか「簡単」という概念が発生します。
そのため、何も知識が蓄積していない赤ちゃんには、「難しい」とか「簡単」という概念が発生していないと言えます。
赤ちゃん側の感覚
例えば、下記の単語を見ると、普通の大人は①②③の順番でどんどん難しくなると感じると思います。
①ぶーぶー
②車
③重機
ですが、赤ちゃんはまだ文字というものは分からないので、音だけで判断します。
そのため、赤ちゃんの気持ちが分かるように、下記のようにひらがなにしてみましょう。
①ぶーぶー
②くるま
③じゅーき
③は音が分かりやすいように「じゅうき」ではなく「じゅーき」としましたが、
「ぶーぶー」と「じゅーき」のどっちの音が難しいなんてないですよね?
どれが難しく、どれが簡単かというのはない気がしないでしょうか。
乳幼児に教える際に重要なのは、
『外でたくさん見る物体を「くるま(車)」と言い、
黄色と黒の縞々の大きな物体を「じゅーき(重機)」と言っているな』
と感じて取ってもらうことです。
また、時刻についても出生時から数字で教えていましたが、これも、
『外が明るくなってお腹がすいている頃を「じゅうにじ(12時)」と言い、
外が暗くなって疲れてきた頃を「ごじ(5時)」と言っているな』
と感じてもらうことが重要です。
さらに、時刻に関しては、時計を指さして針がどういう位置になっているかも説明していました。
具体的手法
なるべく難しい表現を使う。
我が子に話しかける際は、なるべく難しい表現を使用するよう心掛けました。
二字熟語、四字熟語、慣用表現、何かの本の引用、比喩表現など、可能な限り難しい表現を使用しています。
例えば、「燃える」と言わずに「燃焼する」などと赤ちゃんに言う訳です。
家で日本語しかしゃべっていないのに、突然、英語や中国語、スワヒリ語などをしゃべりだすことはありません。
ということは、日本語自体も日頃から聞いていない言葉をしゃべりだすことはありません。
難しい話や表現を常日頃から聞かせてあげれば、それは難しくなくなります。
色んな単語を聞く環境が「普通」という状態にする訳です。
注意することとして、回りくどかったり分かりづらく説明するわけではありません。
友人や上司・同僚・部下などに分かってもらうように説明するが、使用する単語は難しいという感じです。
私は、「日常生活で最も難しい話をしている相手は我が子だ」と思いながら育児していました。
簡単な表現や赤ちゃん語は、周りの人が使ってくれます。
周りの人が、私の子供に対して簡単な表現で話してくれるため、
あえて私がそういった話をする必要はないと思っています。
色んな情報を与える。
「そういえば」とか「こういったこと知ってる?」といって、他の話をしたりもしました。
それは、色んな情報を知ると、お互いの情報がリンクし合い、さらに知識を吸収する助けとなるからです。
長男は車が好きなので、ガソリンやハイオクという燃料の話も小さいころから話していました。
妻も、小学生が読むような本を1~2歳頃から図書館で借りていました。
色んな情報がお互いリンクし合うことは、白いキャンバスに点を打つとイメージしやすいかと思います。
例えば、生まれたばかりの赤ちゃんはまだ知識が全くない状態です。
それはキャンバスに何も書かれていない状態と言えます。
このキャンバスに2つ点を描くと、線が1本引けます。
ここに1つ点を追加すると、線が2本増え、計3本になります。
さらに1つ点を追加すると、線が3本増え、計6本になります。
つまり、点を増やせば増やすほど、つながる線が加速度的に増えていくということです。
この点が、子どもが学ぶ「情報」に該当します。
点(情報)が増えれば増えるほど、リンクし合う本数がたくさん増え、情報を深く理解したり、覚えやすくしたりします。
また、点(情報)と点(情報)がつながり線となる感覚は、学ぶ上で非常に楽しい感覚です。
こういった感覚を持つと、自分から学ぼうという意欲にも繋がります。
真っ白なキャンバスにたくさん点を打ち、なるべく黒くしたい。
そういった気持ちで日々色んな話を子供にしてきました。
情報に触れる時間を長くする。
壁にポスターを貼るなど、情報に触れる時間を長くするようにしました。
これは多くのご家庭で実施されているかと思います。
ここで重要なのは、そのポスターなどを使って色んな話をしてあげることです。
我が家にも、壁にカレンダーが飾ってあります。
それで「何日に何がある」とか「〇曜日はお弁当の日」とか「青い日は土曜日でパパが休み」などと説明していました。
その結果、長男は3歳にして既にカレンダーを理解しています。
インターネットで調べると、カレンダーの概念が分かるのは6歳頃と言われたりしているようです。
私が「〇〇の日はいつだっけ」と話していたら、「さきおととい(一昨昨日)だよ~」と3歳児に言われたのは私自身びっくりしました。(しかも合っていた!!)
やはり時間が長ければ長いほど定着しやすいものです。
決して高圧的な態度で行わない。
「〇〇は××なんだから覚えて!」とは言わず、「〇〇は××なんだよ、知ってた?」といったフランクな感じで話をしています。
大事なのは冒頭でも書いた通り、「大人扱い」することです。
「大人扱い」するということは、「難しいことを話す」というだけでなく、
「相手を尊重する、敬意を払う」ということでもあります。
例えば、友人に対して高圧的な話し方はしないですよね?
(おかしなところがあったら、もちろん注意はするでしょうが)
「親しき中にも礼儀あり」と言いますし、ふざけあう仲だとしても、けなしたり上から目線で話したりはないと思います。
我が子に対しても、「難しいことを覚えて!!」という上から目線の感じではなく、友人と雑談している感じで話をしています。
こんな感じで・・・
以上を長男出生時から続けてきた結果、わずか3歳で「4分の1」とかの言葉を使いこなすことができました。
そのため、この教育手法はかなり効果があったと実感します。
他にも色々書きたいことはありますが、今日はこの辺で。